11/20 それができるまで(1)

この間お知らせした、丸っこいもののご紹介の前に、
なぜそれをご紹介することになったか。。などを
書くことにしました。

それをご紹介するにあたっての経緯というのか物語を
知ってほしかったからです。

私自身のことも書いていくので、退屈な方はすいません。

勢いで一気に書いていくので、
文章も長くなると思います。

読むのに目が疲れたら目薬をさして目を休めてください。

ブログでは自分のことを"私"と書いていますが、
今回は"僕"や"オレ"にしています。
その方が書きやすいんです。


では書いていきます。




小さい頃から嫌で嫌でどうしても嫌だったことが、
今になって、そのスゴさや素晴らしいことに
気付くことがあります。

この数ヶ月はまさにそれを痛感する連続でした。


小さい頃から何が嫌だったかというと、
田んぼの手伝いでした。

小学生の頃は、6月に入ると、気温の心地よさのせいか
友達とかイキイキしてきます。


反対に僕は『うゎ〜、、、そろそろやぁ。。。。』と、
毎回どっかに逃げたい気持ちになっていました。

田んぼの手伝いが心底嫌だったからです。

楽しいこともあるんですよ。

カブトエビやカエルを捕まえたりできるんですから。
でもそれも数分。

『おい!こっちに来いよ!!』。。。
父親のデッカい声が僕とカエルの仲を引き裂きます。

小さいながらにロミオとジュリエットの気持ちが分かるような気がしました。


『友達はみんな遊んでるのに、なんで田んぼやねん』
『遊ぶ約束してたのに釣りに行かれへんやん』
『せっかくでっかいトノサマガエル捕まえたのに。。。』

そん時の僕は口が"への字"だったんでしょうね。
"不平不満の相"丸出しですわ。


ブツブツ言いながら苗箱を運んで、
田植機を運転する父親が何列か植えて
田植機にセットした苗が少なくなってくると、
『おーーーい!次!!』と言われて
またせっせとなえ運び。。。

同じ作業の繰り返しで、めっちゃ退屈やった。
怒鳴り声に近い"おい!!"の声。
こんなのがこれから先もずっと続くと思うとイヤやった。


遠くから母親の姿が見えるんです。
というよりもそれを待っていたのかもしれません。

『やっと来た〜』

昼頃になるとお腹が空いてきて
『やっと休憩できる。。。ウッシッシ』と希望の光が見えます。


母親がお弁当を持ってきてモグモグ食べる。


空の下で食べるのと、屋根の下で
食べるのってなんでこんなに違うんやろ。。。
不思議な感覚でした。


んで、お腹いっぱいになったら、同じ作業再開。


ニコってなってた美味しい口が
一気に"への字"。

友達がどっかに遊びにいく姿が遠くに見える。。。

『いいなぁ。。。田んぼなんかしなくて。。。』


いま思えば、
もし、『小学生不平不満大会』というものがあったら
県大会も近畿大会にも余裕で上位に入れる自信があった。


田んぼだけじゃなく、見えないものが見えたりすることも
イヤでしたから。



田植えも終わって、秋までの間の稲の世話は父親がしていたので
それまでの期間は"田んぼの呪縛"から解放されます。


季節が変わって秋。。。。


さらにレベルアップした"田んぼの呪縛"開始。。
頭は下がって口もへの字になる準備も完了。


稲刈り→乾燥機に投入→籾殻(もみがら)から玄米にする、うすすり(もみすりともいいますね)。


この行程は1年の中で、違う星にもっとも逃げたい日でした。



コンバイン(稲刈り機)で刈り取った米はとても重たくて、
乾燥させて排出、投入を数日してから、
うすすりまでの間は、籾殻(もみがら)の砕けたホコリが
チクチクしてたまらんもん。


でも、精米して炊きあがった新米はピカピカに光って、
見るだけで古米か新米かは分かるようになったなぁ。


毎日のように『食べ物は粗末にしたらあかんで!』と言われて
うっとうしかったけど、
"食べ物は残さず食べること"や、
"食べるものに文句を言わない"ことが染み込んでいたんでしょうね。


学校の給食でも、一口食べて『まずぅ〜』と言う場面や、
遠足や旅行とかで、創ってくれたお弁当に
文句を言いながら食べる場面を見たら、
それが同い年の子であっても大人であっても
腹が立つというのか悲しいというのか寂しくなったのを憶えています。


話がそれましたね。



こうして文章にしながら振り返っていくと
書きたいことがもっと他にもあって、
電話セッションや直接セッションのときのように、
脱線してしまいますが
それも含めて僕なので大目にみてください。



稲刈りや新米になるまでの話の途中でしたね。


田植えからお米が食卓に乗るまでの
田んぼの作業は、何年かに一回なら楽しいと思えたでしょうが
これを毎年毎年繰り返して、
数年経って、僕も10代になりました。


年月が経つと、親とのケンカも比例して増えてきました。


反省なんかしません。
30代まで僕は『謝ったら負け』、『反省したら降伏』という
考えしかありませんでしたから。



気難しい10代になってケンカが絶えなくても
田植えの6月はやってきます。
稲刈りの10月はやってきます。


"田んぼの呪縛"だけは逃れられませんでした。
イヤだったのは変わりませんでした。


田植えや稲刈りのときに、
当時好きだった女の子や友達が通る姿を見ると
『見られたくない!恥ずかしい!』と思う気持ちも
変わりませんでした。
(今思えば、作物を作るのに何を劣等感を持つ必要があるんやろ。。。って思うのですが
当時は"土に触れること"="ダサい"だったんでしょうね)


変わったことといえば、田植機やコンバイン、トラクターなどを
運転させてもらうようになったことかな。

エンジンが付いているものは好きだったので
12〜3歳でそれらを運転できたときは
それはそれで嬉しかったなぁ、、、。

自分より大きくて重たいものがレバーやハンドル一つで
自分の思うように進んだり曲がったりするんですもん。
なんか世界一強くなった気分がしたなぁ。。。



それでも10代も半ばに近づいてくると、手伝うというよりも
『やらされてる感』の方がもっと強くなって、
友達ん家の倉庫に隠してもらってた単車を乗り回すか、
友達や女の子と遊びにいくなどしてストレスを発散しても発散しきれず、
"田んぼの呪縛"からは相変わらず抜けられず
ブーブー言いながらムス〜っとしながら手伝いながらも
田んぼがもっと大嫌いになっていきました。

そのくせご飯はしっかり食べてたのに。

勝手なもんです。



ちょうどその頃だったと思います。父親がこれまでしていた自営業に加えて、
田んぼを一つ埋め立てて、そこで喫茶店を父と母が
オープンさせました。


そのとき僕は『やった!作業が少し楽になる!!』と喜んだのを憶えています。
実際は思ったほど楽にはならなかったのですが。。。。



読み疲れたでしょ。

このあとの予定が済んだら続きを書きますね。
by hal-min | 2013-11-20 16:27 | ==米ぬか石けん== | Trackback


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