ゲシュタルトの祈り、、、、見聞きしたことがある方もいると思いますが、
ふと思い出したのでもしかしたら、一人でもこれを読んでくれる方に
響くかもと思って書きました。
わかり合いたいのにどうしても分かり合えない人、
もしくは、いくらこちらが努力しても理不尽なことで返してきて
無茶苦茶にする人、自分の要求しかしてこない人とか、
ある特定の人によって振り回されてばかり、、、などもし身近に
それらのようなような人がいて心が疲弊しているなら、
ゲシュタルトの祈りを思考に取り入れてみるのも一つの方法です。
今回はそもそもゲシュタルトとはという部分は割愛します。
ゲシュタルト?何それ?という方は独自で調べてみてください。
今回はその祈りの内容のみを記します。
全ての人に対して思うのではなく、
上記のように”どうしようもない人”が現れた時に活用してみてくださいね。
────ゲシュタルトの祈り────
私は私の人生を生き、
あなたは、あなたの人生を生きる。
私はあなた期待にこたえるために生きているのではないし、
あなたも私の期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。
あなたはあなた。
もし、縁があって私たちが互いに出会えるなら、
それはそれで素晴らしいことだ。
しかし、出会えないのであれば、それも仕方のないことだ。
────────────
という内容です。
日本語に訳されている中で最も多く知られているのが
上記の一文ですが、
様々な解釈があるので
自分なりに変えてみてもいいかもしれませんね。
他にも國分康孝氏の翻訳があり、私はその解釈が一番しっくりきます。
そこにはこう訳されています。
────────────
我は我がことをなさん。
汝(なんじ)は汝のことを成せ。
我が生くるは
汝の期待に沿わんがためにあらず。
汝もまた
我の期待に沿わんとして生くるに非ず。
汝は汝。
我は我なり。
されど 我らの心、たまたま触れ合うことあらば
それに越したことはなし。
もし 心通わざければ
それもせんかたなし。
────────────
昔、私が会社勤めをしていた時に、人の行動や言動に振り回されていた時があり、
(今思えば自分に信念がなかっただけなのですが)
心身ともに疲弊していた時、たまたま手に取った本に
上記の一文が書かれていました。
その一文に衝撃を受け、毎日それを紙に書いて自分の中に落とし込み、
窮地を救ってくれた一文です。
『私たちは幸せになる権利がある』という言葉を聞いたことがあると思いますが、
権利なんてないことにも気付きました。同時に、
”幸せになる権利”ではなく”義務”だということも気付きました。
自分の”こうありたい”は誰が何と言おうと
守り抜いてくださいね💪😀
自分の人生を生きられますように。
合掌。
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