5/7 静かに失われている“恥”の感覚

「日本人のモラル、どこ行った?」。。。


そんなふうに感じることが、近年ますます増えていませんか?


誰かの迷惑を考えずに自己主張する人、正義を振りかざして他人を叩く人、
ネット上で平然と心ない言葉を吐く人。。。


表現の自由、言論の自由、個性の尊重、
もちろん、どれも大切な権利であり、私たちが守るべき価値観でもあります。

しかし、そこに「モラル(道徳)」が欠けてしまったら、
それはもう“自由”ではなく“暴走”です。



「自分らしく生きる」とは、好き勝手に生きることではありません。


「自由」という言葉を履き違えてしまうと、
それは他者の自由を侵すことにもなります。


本当の自由には”責任”がもれなく付いてきます。
そしてその責任を果たそうとする姿勢が“モラル”の正体です。



私たちが今、自由に発言し、好きな仕事を選び、行きたい場所に行ける。
それは、偶然手に入ったものではありません。


戦争や貧困、統制や差別という苦しみの中を
必死で生きた先人たちの“祈りのような努力”の上に立って、
ようやく与えられた「今」なのです。



明治維新で命をかけて国を守った人たち、
敗戦後の焼け野原から立ち上がり、
休まず働いて経済を復興させた高度経済成長期の人たち、
その時代ごとに“自分のことより、次の世代”を思ってきた人たちの犠牲があってこそ、

私たちは今、「自由に選べる社会」に生きているのです。



なのにその「自由」を、恩恵としてではなく偉そうに「当然の権利」として主張し、
感謝も節度も持たずに振り回す人が増えてしまいました。



「社会が悪い」「政治が悪い」「親が悪い」、たしかにそれもありますし、

そう言いたくなる気持ちも分かります。


しかし、その“外への怒り”の根底には、
自分の魂がどこかで感じている「恥」と「恐れ」、
つまり、先日書いた“慚愧(ざんき)”の心があることも、
私たちは見つめ直す必要があるのです。



魂的な視点から言えば、

魂は“体験”を通して磨かれていきます。


我慢や不条理、不義理、理不尽や怒り、
それらをどう乗り越えるか、どう捉え、
どう人に接するかが、魂の成熟度を育てていくのです。



だからこそ、今のこの時代に生まれた意味は大きいのです。


あまりにも豊かで、あまりにも自由なこの時代において、
私たち一人一人が「本当の意味でのモラル」を問われています。


「自由であるということは、どういうことか?」
「自分の言葉や行動は、誰かを傷つけていないか?」
「この社会を受け取るにふさわしい感謝と覚悟を持っているか?」
それを問い直すタイミングなのだと思います。


たとえば、誰かに少しでも不快な思いをさせた時、
公共の場でマナーを守らなかった時、
見て見ぬふりをしてしまった時。


それを「まぁ、別にいいか」と流すのか、
それとも「申し訳ない」と胸の奥で感じるのか。

そのわずかな“心の動き”こそが、
今も私たちの中に「美しい日本人の魂」が生きているかどうかを測るバロメーターなのです。



この国に生まれたこと。
それは偶然のようで、必然です。


私たちは、日本という長い歴史の積み重ねの中に、
“役目”があって生まれてきています。


もし、お侍(さむらい)さんや、明治の方、戦争で戦われた方、

日本の復興に尽力されてきた方が、

今の日本にタイムスリップしてきたらどう思うでしょう。


平和なことは良いことですが、日本人の魂は骨が抜け、

恥じらいも、侘び寂び(わびさび)も薄れ、

靖国参拝するしないで海外の反応を気にしているような

今のこの国を見て悲しむんじゃないでしょうか。



だから、せめて今日一日、
自分の自由の背後にある先人の汗と涙に

思いを寄せてみませんか?


そうやって生きる姿勢も

次の世代に「大和魂」を残していくと思います。



今日はそんな独り言でした。


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by hal-min | 2025-05-07 02:54 | こころ | Trackback


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