「絶対そんなことありえない!」と思っていたことが、
時代が変わるたびに現実になります。
大企業に就職すれば定年まで安泰。
銀行に入れば一生安定。
昔ははそれが“常識”でした。
しかしその常識は、バブル崩壊とともに崩れました。
時代は、私たちの思い込みをあっさり追い越していきます。
そしてあのSONYも、多くの人にとって“揺るがない存在”でした。
世界のSONY。
技術のSONY。
日本の誇り。。。。でした。
そのSONYのテレビ事業部が、中国のTCLと資本提携して、
49:51という構図になる。。。もしそれが現実になったとしたら、
形式は合弁会社でも、主導権は51%側にあります。
しかも合弁会社で新たなブランドを作るのかと思ったら、
「ソニー」という名前も、「BRAVIA」というブランドもそのまま使われます。
もちろん、消費者から見たら見た目はこれまでと変わりません。
でも中身の力のバランスは確実に変わります。
これはこのような世界では珍しいことではありませんが、
感情としてはやはり複雑ですよね。
確かに寂しさはあります。
あれほど世界を席巻した企業が、、、と。
しかし、これも時代の流れの一部なのかもしれません。
とっくにテレビ市場そのものがかつてのような花形産業ではなくなり、
価格競争も激化し、巨大資本の論理が支配するというのは、
一社の問題というより、産業という構造の変化です。
ただ、ここで少し視点を変えてみたいのです。
バブルの時代、日本企業は世界を席巻していました。
もちろん、SONYもその中心にいました。
1989年、SONYはアメリカの大手映画会社コロンビア・ピクチャーズを買収します。
ハリウッドの象徴とも言える映画会社を、日本企業が手に入れました。
当時、世界は驚きました。
「日本がアメリカを買っている」「日本人はなんてことすんだ!」とまで言われた時代です。
勢いがあった。資本力もあった。世界に攻め込む側でした。
あの頃のSONYは、“買う側”でした。
そして今、もしテレビ事業で主導権が海外資本に移るとしたら、
今度は“される側”に回ったとも言えるかもしれません。
歴史は面白いものです。
立場は固定ではありません。
上にいる時もあれば、下に回る時もあります。
攻める時代もあれば、守る時代もあります。
これも大きな循環の一部です。
エネルギーは常に動きます。
国も企業も個人も、拡大と収縮を繰り返します。
バブル期の拡大があれば、その後の調整があります。
奪う・奪われるという単純な話ではありません。
流れの中で役割が変わっていくという話です。
もし今が“される側”のフェーズだとしたら、
それは敗北ではなく、次の準備期間なのかもしれません。
もちろん「これでチャラやな」と単純に言えるものではありませんが、
少なくとも一方的なものではありません。
日本もかつて世界を驚かせる側だったというその記憶は消えません。
それよりも問われているのは、ここからです。
ブランドに頼るのか。過去の栄光にしがみつくのか。
それとも、新しい価値を生み出すのか。
SONYという名前が象徴していたのは、単なる日本企業という枠ではなく、
「挑戦する精神」だったはずです。
もしテレビが役目を終えつつあるのなら、
次の舞台でどんな挑戦を見せてくれるのか。
そこにこそ、本当の底力が試されている気がすると思いませんか?
“ありえない”は、必ず起きます。
でもそのたびに、新しい時代も始まっています。
そんな寂しい感情の奥で、何が芽吹こうとしているのか。
私たちは今、その歴史的な転換点を見ているのかもしれませんね。
書きたいことはまだまだありますが、
読んでくれる方の目がこれ以上疲れたらいけないので今日はここまで😀

