10/21 毎回ダメ男や嫌な人を選んでしまうのはなぜ?

なぜ、毎回ダメ男ばかり選んでしまうのか?。。。。 


なぜ、毎回同じような嫌なタイプの人と出会ってしまうのか?。。。。


これは偶然でも、「見る目がない」せいでもありません。


そこには、心理的、そして魂的にも深いパターンが関係しています。


人は無意識のうちに「慣れた感情」を求める傾向があります。

たとえそれが苦しい関係であっても、脳は“知っている感情”を安全だと錯覚します。

これは自然なことです。


例えば、幼少期に、大事にされるために我慢しなければならなかった経験がある人は、

大人になってもその我慢を伴う関係を再現するような相手を無意識に選んでしまいます。


なぜなら、脳にとってそれが安心できるパターンだからです。

ここに、心理学でいう“再演(さいえん)”という働きが作用しています。


人は、心の中で完了して今い感情を癒すために、

同じような状況を無意識に繰り返し再現しようとします。


では、その再演を別の視点から見たらどうでしょう。
魂には「成長のテーマ」というものがあります。
魂は未熟だからこそ、この世に修行に来ています。
だからこそ、学ぶべきテーマを理解するまで、

何度も似たような試練を与えられるのです。

もしあなたが「なぜ毎回同じような恋愛をしてしまうんだろう」とか、

「何度転職しても毎回同じような嫌な人が現れるのはなぜだろう」と感じているなら、

それは「もうその学びを終わらせる時やで〜」とあなたに教えているサインです。

つまり、出会いそのものが悪いのではなく、

その相手を通じて自分の中の何を癒やすべきかを見つけるための問題集なのです。


例えば、「ダメ男」に惹かれてしまう人の多くは、

心の奥に“私がいなければこの人はダメになってしまう”という、

救済者のような意識を持っていることが多いものです。


これは一見、愛情深いようですが、

実は、自分の価値を他者の問題解決に委ねてしまっている状態と解釈できます。


魂はその経験を通して、他人を救うより、

まず自分を癒すことの大切さを学ぼうとしているのかもしれません。


また、嫌なタイプの人に毎回出会うのも、鏡の法則によるものです。

あなたの中にまだ癒えていない部分や見ないようにしている影の部分が、

相手の言動を通して映し出されているのです。

つまり「この人嫌だな」と思う瞬間こそ、

自分の中に眠っている“消化できていない感情”が反応しているサインです。

相手を通して、あなたが本当の自分と向き合うタイミングが来ているのです。


そして何より大切なのは、自分のパターンに気づくことです。


気づくことは、それ自体は大したことがないように見えますが、

実は大きな一歩です。


自分がなぜその人に惹かれたのか、

なぜ同じ結末を繰り返したのかを責めることはせず、観察してみることをお勧めします。


意識をそこに向けるだけでも、無意識のパターンは少しずつ変わっていきます。

恋愛も人間関係も、すべては「自分を知るための鏡」です。

相手を変えようとした時は、自分の内側を変える絶好のチャンスです。
それができたとき、あなたはもう同じタイプの人たちと出会う頻度はぐんと減り、

やがて出会わなくなります。

もしそのような人が現れたとしても屁とも思いません。


なぜなら、あなたの波動が変わり、惹かれる相手の質も変わるからです。

出会う相手は自身の心の周波数で決まるのです。

なので、外の世界を変えるより、自分の内側を変えることのほうが重要になります。


それが、恋愛でも人間関係でも、

人生を根っこから変える最も確実な方法です。


次に出会う人は、これまでとはまったく違うタイプになるかもしれませんね。
その時は、もう同じパターンを卒業する準備ができた証です😀


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# by hal-min | 2025-10-21 23:13 | こころ | Trackback

10/20 今さら聞けない”衆議院、参議院”ってなに?・現実世界と精神世界の衆参

最近、「なんか日本の空気が変わってきた気がする」と感じている人は多いのではないでしょうか。


高市早苗さんが自民党総裁となり、日本初の女性総裁が誕生した今、

社会の流れが確実に変わり始めていますよね。


重く澱んでいた日本の空気が少しずつ動き、

ようやくこの国の空気感にわずかな希望が見え出してきそうな感覚。。。。


実はこの変化は、政治的な出来事にとどまらず、

私たち一人ひとりの意識にも深く連動しています。


そんな中で、「機を逃す」という言葉が象徴的に使われています。

国民民主の玉木さんの動きにも言えることですが、

これは政治だけではなく、私たちの人生そのものにも当てはまるテーマです。


チャンスというのは、準備が整っていない人には見えないものです。

運というのは、流れに乗ることではなく、その流れを感じ取る力。



と、ここで「今さら聞けない〇〇」という大事なことを一つ。


よく耳にする“衆議院”と“参議院”、、、この2つの違いはなんでしょう?


衆議院は「国民の声をすぐに反映する」スピード重視の議会です。

任期は4年で、解散があるために実際はもっと短いことも多く、

世論の流れや政治の勢いを映す鏡のような存在です。


季節で言えば“春”のようなものですね。

動きが早く、新しい芽がどんどん出てきます。


一方の参議院は“秋”のような存在といえます。

任期は6年、解散もなく、安定と熟考を司ります。

衆議院で決まったことをもう一度冷静に見直す“理性の場”です。


衆議院が「感情」で動くなら、参議院は「理性」で支えるというような感じです。


政治は、この両輪でバランスを保てます。


この仕組みは、実は私たちの人生にもそのまま当てはまります。

たとえば、直感で行動する衆議院的な自分と、

冷静に考える参議院的な自分。。。。

どちらか一方に偏ると、人生の舵取りはうまくいきません。


直感だけでは現実に振り回され、理屈だけでは魂が窒息してしまいます。


大切なのは、この二つをどううまく働かせるか。

これは政治だけでなく、私たちの心の中の“統治バランス”と言ってもいいでしょう。


精神的な観点から見れば、「今の日本の空気の変化」とは、

まさにこの二つのエネルギーが再び調和を取り戻し始めたサインです。


長い間、停滞していた社会の気がようやく動き出し、

重かった雲の向こうに光が差し込み始めます。

そして、再び“信じる力”を取り戻し、希望という波動を思い出しつつあります。


今回の空気感のは集合意識が一段ドンと上がる状態です。

政治の世界で新しい風が吹くと表現されますが、

それは私たちの内側の変化の象徴でもあります。


心の奥で、「もう一度立ち上がるで!」、「もう一回挑戦してみよう!」という

エネルギーが芽生えているのです。


かの松下幸之助は「好機は準備のある者にしか訪れない」と言いましたが、

これは波動の一致の法則でもあります。

外の世界が変わるとき、内側の波動を整えておく人ほど、その流れに自然と乗れるのはそのためです。


一方で、「機を逃す」とは、流れが来ているのに恐れや迷いで動けない状態を指します。

人は変化の直前に最も不安になります。

それは魂が“飛躍のサイン”を送っているからです。


なので、今のこの日本の変化を、単なる政治ニュースとしてではなく、

“あなた自身がどんな未来を選び取るか”というメッセージとして受け取ってみてください。


そして最後に、大切なことを。


政治も人生も、「誰かが変えてくれる」ものではありません。

国の空気が変わった今だからこそ、

私たち一人ひとりの意識が問われています。


希望を見るのか、絶望を見るのか。


信じるのか、嘆くのか。


それを決めるのは他人ではなく、自分自身です。


今回のこの空気感をどう受け止め、

どう帆を張るかで、あなたの未来もさらに変わります。


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# by hal-min | 2025-10-20 23:45 | こころ | Trackback

10/19 ”推し活”から学ぶ 心を元気にする力と、心を蝕む執着の境界線?

「推し活」という言葉を知らない人はいないほど、

私たちの生活に溶け込んでいますよね。


好きなアーティスト、俳優、アニメのキャラクター、

アイドル、クリエイターなどなど。。。

誰かや何かを「推す」ことは、日々の生きる力になりますし、

心に灯をともす素晴らしい行為です。


が、


実はこの“推し文化”は最近始まったものではありません。

調べてみると、江戸時代にも、

歌舞伎役者や浮世絵師を熱心に応援する「推し活」のような文化がすでに存在していました。


当時の人たちは、好きな役者の木版画を集めたり、

贔屓の芝居に足繁く通ったりして、

心の支えや生きる喜びを見出していたようです。


つまり、人が「誰かを推す」という行為は、

いつの時代も“心の栄養補給”として自然に生まれてきたものと考えられます。


では、推し活の本質は何かと言えば、

「自分の中のエネルギーを、誰かや何かに共鳴させて、自身を高める」ことといえます。


推しがいることで、日々の疲れや孤独が癒されたり、

「明日も頑張ろう!」と思える力が湧いてきたり、心に張りが出てきます。


科学的にどうか調べてみても、推し活は“ドーパミン”や“オキシトシン”といった

幸福ホルモンを分泌させ、心身のバランスを整える効果があるといわれています。


まさに「心の免疫力」を上げる行為といえます。


しかし、どんなに素晴らしいことでも、“過ぎたるは及ばざるが如し”です。


推し活が「生きるエネルギー」から「心の依存」に変わる瞬間があります。

それは、推しへの思いが純粋な応援を超えて、“執着”になってしまう時です。


たとえば、推しの言動や他のファンの動きを過剰に気にして感情が乱れたり、

推しの活動が止まると自分の価値まで揺らいでしまったり、

他にも金銭的・時間的に自分を犠牲にしてまで追いかける。。。。そうなると、

せっかくの「心を満たす行為」が、逆に「心をすり減らす行為」に変わってしまいます。


魂レベルの視点で見ると、推し活は“波動の共鳴”の一種と考えられます。

あなたが推しているその存在は、

あなたの中にある「憧れ」や「理想の光」を映し出してくれている鏡でもあります。


だから、推しに惹かれるということは、

実はあなたの魂が“同じ周波数を持っている”ということでもあるのです。

ところが、推しを自分より上に置きすぎてしまうと、

その共鳴のバランスが確実に崩れます。


推しが“活力の象徴”であるなら、あなたは“その活力を受け取る存在”であっていいんです。

しかし、“自分の活力を手放して、推しにすがる存在”になってはいけません。


本来の推し活というのがあるのであれば、それは「自分のエネルギーを循環させる行為」です。

推しにときめき、感動し、元気や活力をもらったら、

それを自分の人生の中で活かすことがそれです。


たとえば、「あの人のように笑顔で生きよう」「私も誰かを元気づけられる存在になろう」と思うことが、

そこに本当の価値があります。


かつて江戸の町人たちも、贔屓の役者に元気をもらいながら、

自分の商売に励み、生活を豊かにしていったといいます。

つまり、“推しを通じて自分の人生を輝かせる”ことが、

時代を超えて変わらない推し活の神髄と言えるのではないかと思います。


特に今の社会はストレスや不安が多く、

人々の心が疲れやすい時代です。


だからこそ、誰かを推すという行為は、心を癒し、

人生を彩る大切な力になります。

しかし、そのエネルギーは、使い方を誤ると闇にも変わります。


推しはあなたを輝かせる“光のきっかけ”であり、“あなたの代わり”ではありません。


推し活の目的は、「誰かに夢中になること」ではなく、

その熱を通して、自分の中の情熱を再び思い出すことです。

自分の人生の主役は、いつだろうがあなた自身です。

と、長々と”推し”について深掘りしてみました。


どのようなことでも意識を向ければ気づきや学びが発見できるので

この世は面白いですね😀


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# by hal-min | 2025-10-19 21:07 | こころ | Trackback

10/18 「君、狂いたまえ!」

画像は吉田松陰。

この方の教えや生き方は、現在の私たちにもとても多くのことを
気づかせてくれます。

今日はこの方から学んでみましょう。
10/18   「君、狂いたまえ!」_c0111102_21264166.jpg

「狂う」と聞くと、多くの人は「理性を失う」とか、「常識を外れる」といった

ネガティブな印象を持つと思います。


しかし、かつて松下村塾(しょうかそんじゅく)の吉田松陰が

弟子たちに向かって放った「君、狂いたまえ!」という言葉は、

まったく反対の意味を持っていました。


彼が伝えたかった“狂う”とは、

「命をかけるほど真剣に生きなさい」、「周りが止めるほどに情熱を燃やしなさい」という、

魂を揺さぶる激励の言葉だったのです。


現代の私たちは、便利さや効率を優先優先で、「ほどほど」「無難」、「失敗しない生き方」を選びがちです。

もちろんそれも大切な知恵です。

しかし、あまりにも“無難”に身を置きすぎると、

人は少しずつ、生きている実感を失っていきます。


やりたいことがあっても、「現実的に無理」「時間がない」

「どうせ自分にはできない」と、まだスタートラインに立つ前からブレーキ癖がつきます。

そして、心が錆びていきます。



吉田松陰が言う「君、狂いたまえ」は、その錆びついた魂を再び燃やせ!、というメッセージです。


つまり“狂う”とは、理性を失うことではなく、

心の奥に眠る情熱にもう一度火を灯すことです。



誰かに笑われようが、理解されなかろうが、

魂が震える方向へ一歩を踏み出しましょう!これこそが本来の

「狂う」という在り方ではないかと思います。


ただ、ここで大切なのは、バランスです。


情熱が強すぎると、人は現実を見失い、他人を巻き込んで苦しめてしまうこともあります。


吉田松陰が弟子たちに伝えた「君、狂いたまえ」には、

同時に「己の志を忘れるな!」という意味も含まれています。


つまり、単に無謀に突っ走ることではなく、

信念に狂いなさい”ということです。


方向性を誤った情熱は破壊に向かいますが、

本当の情熱は創造するチカラを生みます。



また、“狂う”とは「魂が本来の目的に目覚めた状態」とも解釈できます。

人は魂レベルで「何かを成し遂げたい!」という強い意志を持って生まれてきます。


その使命に正直に生きるとき、

人は周囲から「変わった人」「少し狂ってる」と言われるほど、エネルギーに満ち溢れるものです。

そのような体験をした人も多いのではないでしょうか。


それは、宇宙の流れに逆らわず、道理通りに乗っている状態でもあります。


つまり、「君、狂いたまえ」とは、魂のままに生きなさいということです。


そして“過度に狂うな”とは、“人としての理性を忘れるな”ということです。


この両者のバランスの上に、道理にかなった人生が成り立ちます。

現実の社会でも、時代を動かした人、世界を変えた人はみな、

大抵の場合、狂っていました。


常識ではなく信念に従い、嘲笑の中で突き進んだ人たちです。

しかし、彼らは狂気の中に確かな使命感を持っていました。

だからこそ、人々の心を動かし、後世に名を残したのです。


あなたの中にも、理性に抑えつけられた“狂気”が眠っていませんか?


もし心の奥で何かが叫んでいるなら、それが魂の声、本当の自分の声です。


ほんの少しだけ理性の枠を緩めて、その声に耳を傾け、

行動に移せば、それは“暴走”ではなく“流れに乗った狂気”になります。


何度生まれ変わろうが、この時代のこの国に生まれた人生は、一度きりの人生です。


ほどほどのまま終えるのもあり。
「本気で生きて、少し狂ってみた」と笑える人生にするのもあり。


決めるのは自分の心しだい!


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# by hal-min | 2025-10-18 20:09 | こころ | Trackback

10/17 劣等感と心の飢え

自慢話ほどつまらないものはありません。


いじめほど情けないものはありません。


そして、悪口、陰口ほど惨めなものもありません。


しかし、現実の世界では、これらがあらゆるところで見られます。

SNSでも職場でも、学校でも、日常の会話の中でも。


では、人はなぜ、わざわざそんなことをするのでしょうか?


本当に力を持っている人、努力を積み重ねてきた人、

内面が成熟している人ほど、心は静かです。


彼らは自分の中に「生き甲斐」と「自信」を持っているので、

わざわざ外に向かって「自分はすごい」と叫ぶ必要がありません。


満たされている人は、他人を蹴落とさなくても輝けると知っています。

だからこそ、他人を悪く言う暇があれば、自分の道を磨くことにエネルギーを使います。



反対に、自慢話やいじめ、悪口を繰り返す人の内側には、

ほぼ例外なく「劣等感」が潜んでいます。


劣等感とは、「自分は他人より劣っているのではないか」、

「自分には価値がないのではないか」という心の恐れです。


人はこの恐れに直面するのが怖いから、

無意識のうちに“逆の行動”を取ります。


つまり、自慢をして自分を大きく見せようとしたり、

他人を傷つけて自分の方が上だと思い込みたくなったりします。

これは、心が「自分の価値を確認したい」と必死に叫んでいるサインです。


このような行動は“心の飢えている”状態の現れです。


人は誰でも、愛されたい、認められたい、

価値を感じたいという根本的な欲求を持っています。


が、


それらの価値を外の世界でしか見つけられないと思い込んでいると、

常に「奪う」「比較する」「優位に立つ」という形でしか満たされなくなってしまいます。


だからこそ、自慢も悪口も、根っこは同じ「欠乏」なのです。


ところが、愛や価値というものは、本来は“他人から与えられるもの”ではなく、

“自分の中から湧き出るもの”です。

自分の人生を丁寧に生きるほど、他人と比べる必要がなくなります。


比較の中でしか存在できない「劣等感の世界」から、

自分自身を基準にした「成長の世界」に意識が変わります。


そうなると、人を攻撃する言葉は自然と減り、

代わりに人を励ます言葉が増えていきます。


他にも、いじめや悪口が蔓延るような環境は、

必ずどこかで“心の貧困”が起きています。

豊かな人間関係の中には、他人の成功を素直に喜べる心があります。


つまり、「祝福すると祝福される」ということを知っている人たちの集まりです。


反対に、他人の心の火を消そうとする人は、

自分の中に光を見失っている人なのです。


もしあなたが誰かの自慢話や悪口に触れた時は、どうか一歩引いて見てください。


その人は今、心のどこかで「自分を認めてほしい」と叫んでいるのかもしれません。

反応する必要はありません。


ただただ、「ああ、この人も満たされたいんやなぁ」と理解するだけでいいんです。

そうすれば、あなたの波動はその低いエネルギーに飲み込まれることなく、

むしろその場を整える波長になります。


最終的に、自慢も悪口もいじめも、すべて“未熟な心”の形です。

そこに巻き込まれず、自分の価値を静かに育てていく人は、

本当の意味で強い人です。


自分を磨く人は、誰かを見下さずとも輝けます。

心の豊かさとは、他人を攻撃しない余裕のことです。


劣等感を克服するとは、誰かに勝つことではなく、

自分の中の「価値の不安」を大きな心で包み込むことです。


そうすれば、あなたの中の心の火はもう、

誰と比べるまでもなく堂々と輝き始めます。


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# by hal-min | 2025-10-17 23:21 | こころ | Trackback